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昨年9月に買い替えた私の車、今日が初めてのオイル・チェンジの日でした。

整備工場の受付に行くと、ちょっと東洋系の雰囲気のあるブライアンという名札をつけた、アラフォーくらいに見える人がいました。

私の名前を見て
日本人ですか? 生まれたのも日本? あ、そう。 僕も半分日本人。僕の母が日本人、二世なんですよ。僕の祖父母が日本からバンクーバーに移民して来たのが最初でね。」


海外に暮らす日本人や日系人が出会うと出る定石質問、
「じゃ日本語話しますか?」
と、ブライアンさんにも向けてみました。

ブライアンさんは日本語はしゃべれないとおっしゃいました。
ま、日系3世ともなれば、日本語が話せなくてもあまり不思議ではありません。それにブライアンさんは半分日本人で半分はカナダ人ですから。

そう納得した私に、ブライアンさんの継いだ言葉がちょっと悲しく刺さりました。


「第2次大戦、知ってるでしょう? パール・ハーバーね。あの後、僕の祖父母はカナダから敵性外国人として、ここアルバータ州の収容キャンプに送られたんですよ。
キャンプでは日本語厳禁、日本の文化的行事もしきたりも全て禁止。だから、小さかった僕の母は否応なしに英語環境で育てられ、日本語はそこでの数年ですっかり忘れてしまったんですよ。
あの時代の日本人社会から今に残ってるものと言ったら、スシだけ。それまでに培ったものは全て失ったんです。」


あぁ、しまった・・・と思いました。
つい、ホントについつい、「同じ日本人」という気安さで尋ねたことへの答えが、こんな風に重たく返ってくるとはまったく想像していませんでした。


ブライアンさんの表情は淡々としていて、きっと特別な想いはなく「我が家の歴史の一部」として話してくれたことだと思いますが、私と「同じ日本人」ではなかったことを知らされた気がしました。


私の亡くなった父も、日本帝国海軍の航空隊で訓練を受けていた一人です。
戦後しばらく経ってから結婚し、日本の高度成長期を担った世代。
私の家系には幸いなことに、戦争で生死の境を生き抜くような凄惨な経験をした人がいなかったので、私自身に戦争の痛みは引き継がれることなく、日本が移り変わりゆくのを享受して育ちました。
言い方を変えると、私の中では「戦争は両親の世代で起きた不幸な歴史」として、終わったものなのです。


ブライアンさんの話を聞いて、カナダに限らずアメリカや他の国であっても、日系人として生きてきた人の中には、自分の祖国の所業のせいで、「取り上げられてしまったもの」がたくさんあったのだろうと気付かされました。
そしてその失くしたものは、失くされたという歴史をともなったまま子へ孫へ引き継がれています。


日本人と日系人には、似て非なるものが確実に存在していると、今日初めて知りました。



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2015.03.19 Thu l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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