今年になって、日本にいる母の様子が
少し心配になってきました。
特段大きな問題はなくても89歳ですから、
頭のネジも体のネジも、
あちこち緩んできたって不思議ではありません。
先日電話でお墓参りの話になりました。
私にとってお参りするお墓といえば、
父方の祖父母と父が眠っている場所で、
私が生まれて育った土地にあります。
私が帰省するたびに、
必ず母を伴ってお参りをしてきました。
それがどういうわけか、
今回の電話の会話では、
母の考えているお墓参り先は、
母の両親が眠る墓地「しかない」
と言うのです。
絶句してしまいました・・・。
今の母にとってはもう、
嫁いだ先のお墓は、
そこを離れて長くなったこともあるのでしょう、
自分に身近なお墓ではなくなったのだと、
まるで最後通牒を突きつけられたような
ショックでした。
今暮らしているところは、
母の弟妹にも近く、
母が弟(私の叔父)を訪ねれば、
両親の仏壇に手を合わせるし、
もちろん母の両親の墓所も近いのです。
多分私と2~3年に一度お参りするお墓よりも、
ずっと親しみを感じるお墓なのですね。
母にとってのお墓の優先順位が変わったことを
悲しいとか寂しいとかは思いません。
ただ「しかない」と言い切られた瞬間は
あまりに想定外の言葉だったので、
かなりびっくりしました。
電話を切ってから思ったのですが、
私にとっての「家族」と、
母にとっての「家族」が
今は違っているのだ・・・と。
よく言われる諺
「遠くの親戚より近くの他人」
みたいなもので、
遠くのお墓に眠っている父よりも
近くのお墓の両親の方が、
遠くに暮らしている私よりも
近くの弟妹たちの方が、
ずっと身近で情が通い合っている
と、感じているのでしょう。
となると、正直なところ少し寂しいけれど、
母が頼りにできる距離にいない娘、
そういう生き方を望んでしている娘ですから、
仕方ないですね。
このまま母の頭のネジがどんどん緩んだら、
私、マジで忘れられてしまうかもしれません。
できるだけ親孝行して
記憶に留めておいてもらわないと・・・ね!

少し心配になってきました。
特段大きな問題はなくても89歳ですから、
頭のネジも体のネジも、
あちこち緩んできたって不思議ではありません。
先日電話でお墓参りの話になりました。
私にとってお参りするお墓といえば、
父方の祖父母と父が眠っている場所で、
私が生まれて育った土地にあります。
私が帰省するたびに、
必ず母を伴ってお参りをしてきました。
それがどういうわけか、
今回の電話の会話では、
母の考えているお墓参り先は、
母の両親が眠る墓地「しかない」
と言うのです。
絶句してしまいました・・・。
今の母にとってはもう、
嫁いだ先のお墓は、
そこを離れて長くなったこともあるのでしょう、
自分に身近なお墓ではなくなったのだと、
まるで最後通牒を突きつけられたような
ショックでした。
今暮らしているところは、
母の弟妹にも近く、
母が弟(私の叔父)を訪ねれば、
両親の仏壇に手を合わせるし、
もちろん母の両親の墓所も近いのです。
多分私と2~3年に一度お参りするお墓よりも、
ずっと親しみを感じるお墓なのですね。
母にとってのお墓の優先順位が変わったことを
悲しいとか寂しいとかは思いません。
ただ「しかない」と言い切られた瞬間は
あまりに想定外の言葉だったので、
かなりびっくりしました。
電話を切ってから思ったのですが、
私にとっての「家族」と、
母にとっての「家族」が
今は違っているのだ・・・と。
よく言われる諺
「遠くの親戚より近くの他人」
みたいなもので、
遠くのお墓に眠っている父よりも
近くのお墓の両親の方が、
遠くに暮らしている私よりも
近くの弟妹たちの方が、
ずっと身近で情が通い合っている
と、感じているのでしょう。
となると、正直なところ少し寂しいけれど、
母が頼りにできる距離にいない娘、
そういう生き方を望んでしている娘ですから、
仕方ないですね。
このまま母の頭のネジがどんどん緩んだら、
私、マジで忘れられてしまうかもしれません。
できるだけ親孝行して
記憶に留めておいてもらわないと・・・ね!

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遠く離れているせいもあって、
自分の親のことですらよく理解できてないことを、
今回思い知らされました。
親の年齢の数字だけでは計り知れない様々な変化が
母に起きていたのだなぁ・・・と。
また電話してみます。
コメント、ありがとうございました。
ekoyonさんのお話がとても身近に感じられて、
「私だけじゃないんだな」と少しホッとしています。